寄稿エージェント:山中 美千瑠
はじめに:人材エージェント出身者の「キャリアの分水嶺」
日々、ハイクラス層のキャリア支援をおこなう中で、人材業界(エージェント)出身の方から「事業会社の人事にキャリアチェンジしたい」「将来はベンチャー企業のCHROを目指したい」というご相談を数多くいただきます。
人材流動性が高まり、採用難易度が極めて高くなっている昨今、事業会社における「採用力」はそのまま「経営力」に直結します。そのため、人材マーケットの最前線で戦ってきたエージェント出身者は、多くの成長企業から熱い視線を注がれるポテンシャル層であることは間違いありません。
しかし、ここで一つの残酷な現実をお伝えしなければなりません。 それは、「エージェントとしてトップクラスの成績(売上・決定数)を収めている人が、事業会社の人事として活躍できるとは限らない」ということです。
事実、「決定力のあるエージェント」という自負が強すぎるあまり、事業会社に入社後、単なる「面接調整と母集団形成のプレイヤー」として頭打ちになってしまうケースを私は何度も見てきました。一方で、エージェントでの経験を見事に昇華させ、「CHRO(最高人事責任者)」として、市場価値を爆発的に高める方もいます。
両者の決定的な差はどこにあるのでしょうか。 それは単なるスキルの差ではなく、CHROへ至るまでの「キャリアステップ」を理解し、各フェーズで適切に「思考をアップデート」できているかどうかの差に他なりません。
エージェントからCHROへ。知られざる「3つのステップ」と求められる思考
エージェントからCHROへ至る道は、決して一足飛びの魔法ではありません。大きく分けて3つのステップが存在し、それぞれのフェーズで「求められる役割」と「乗り越えるべき思考の壁」があります。
ステップ1:エージェントから「事業会社の採用担当」へ
最初のステップは、事業会社の採用担当への移行です。ここでは「決定力」が問われますが、同時に多くのエージェント出身者が最初の壁にぶつかります。
- 陥りがちな罠:「KPI至上主義」と「入社=ゴール」の呪縛
エージェント時代に染み付いた「スカウト送信数」や「決定数」を追うだけの状態です。事業会社にとっての採用は「目的」ではなく、事業成長のための「手段」です。「今月は〇名採用できました」と誇張しても、入社後のミスマッチや早期離職が起きれば、事業貢献はゼロ、あるいはマイナスです。また、言われた通りの「スペックマッチング」を行うだけでは、現場の御用聞きで終わってしまいます。
- 求められる思考:「事業インパクト」からの逆算
このフェーズを抜け出す人は、「なぜそのポジションが必要なのか?」「既存の組織課題は何か?」を経営・現場視点で深掘りします。そして、入社をゴールとせず、「その人が入社後、いかに早く立ち上がり(オンボーディング)、組織のカルチャーに馴染み、事業にインパクトを与えてくれるか」までを想像し、採用要件そのものを再定義する思考を持っています。
ステップ2:採用担当から「マネージャー / HRBP」へ
次に、採用担当から、組織全体の課題解決を担うマネージャーや、事業部門のビジネスパートナー(HRBP)へと昇格するフェーズです。
- 陥りがちな罠:「点」の解決策への依存
採用がうまくいき始めると、「組織の課題はすべて採用で解決できる」と錯覚しがちです。しかし、どれだけ優秀な人材を採用しても、評価制度が機能していなかったり、カルチャーが合っていなければ、組織というバケツの底から水は漏れ続けてしまいます。
- 求められる思考:「点」ではなく「面」で組織を見る力
次のステップへ進む人は、採用という「点」だけでなく、組織全体の「面」で物事を考えます。「優秀なエンジニアを採用したい」というオーダーに対し、採用手法を変えるだけでなく、「彼らが魅力に感じる評価制度になっているか?」「働きやすい開発環境はあるか?」と、制度設計や組織開発の領域まで踏み込んで提言を行います。現場のリアルな課題を吸い上げ、経営層にフィードバックする高度な「翻訳家(ブリッジ)」としての思考が求められます。
ステップ3:人事のプロから「CHRO」へ
最後のステップは、「経営陣の一角」への昇華です。CHROは「人事」ではなく「経営者」でなければなりません。
- 陥りがちな罠:「人事の枠」にとどまる発想
経営戦略に対し、「言われた通りに人事施策を打つ」という受け身の姿勢です。これでは「人事屋」であっても「経営者」にはなれません。
- 求められる思考:経営戦略を「組織・採用戦略」に翻訳・牽引する力
CHROは、経営層から「3年後に売上を〇億円にする」という戦略を聞いたとき、それを即座に「組織図」と「採用要件」に翻訳します。「その目標達成には、現在の組織のここがボトルネックになる。だから〇〇のような人材が半年以内に必要だ」と、自ら要件を提案・定義します。時には「その事業課題なら、今は正社員を採用せず、業務委託で体制を整えるべき」と、「採用しない決断」すら経営視点で提言できるかどうかが、真のCHROとしての価値を決定づけます。
今の環境で「市場価値」を高めるためのマインドシフト
もしあなたが今、人材エージェントとして働いており、将来的にCHROへの階段を登りたいと考えるなら、今の環境にいながらでも変えられる行動があります。
まずは、クライアントとの対話の質を変えてみてください。
「どんな人が欲しいですか?」と聞くのではなく、「今、事業を推進する上で一番のボトルネックは何ですか?」と聞いてみてください。事業課題をヒアリングし、その解決策として人事戦略の視点から提案するのです。エージェントという立場でクライアントの経営課題にどこまで深く入り込めるかが、将来のあなたの視座の高さを決めます。
また、自社の組織にも目を向けてください。トップダウンで降りてくる目標をこなすだけでなく、自チームのオンボーディング体制や、メンバーのモチベーション向上に対して当事者意識を持って取り組んだ経験は、必ず事業会社で活きる「生きた知見」となります。
おわりに:あなたの「経験」は、正しいベクトルを向いているか
人材エージェントという仕事は、世の中のあらゆるビジネスモデルに触れ、企業の盛衰を間近で観察し、人生の岐路に立つ個人の価値観に深く入り込むことができる、極めて尊く、そして難易度の高いプロフェッショナルな職業です。
そこで培われた「仮説思考」「対人折衝力」「圧倒的な行動力」は、確固たる土台です。しかし、その土台の上にどのような「思考の家」を建てるかによって、その後のキャリアは全く違うものになります。
CHROへと至る「3つのステップ」と「求められる思考の変化」を事前に理解し、日々の業務の中で視座を高める訓練を続けていれば、エージェント出身者ほどCHROの適性を持つ人材は他にいません。
あなたのこれまでの実績や苦労は、決して「いちプレイヤー」として終わるためのものではないはずです。 本記事が、ご自身のキャリアの現在地を客観視し、次なるステージとなる「経営と組織を動かすプロフェッショナル」へ歩みを進めるための、一つの道標となれば幸いです。