日本を代表するプロ経営者達の意外な経歴

日本を代表するプロ経営者達の意外な経歴

寄稿エージェント:高木 土筆

「プロ経営者」とは、豊富な経営経験を買われ、社外から招聘されて企業のトップに就任する人を指す。欧米では日本よりも前から取り入れられていたが、日本でも2010年以降にプロ経営者を登用するケースが増えている。今回は代表的な3名の経歴をご紹介したい。

松本晃:伊藤忠出身の再建のプロ

松本晃は総合商社伊藤忠商事出身のプロ経営者で、ジョンソンエンドジョンソン、カルビーのCEOを務め、業績をV字回復させた仕事人である。

京都大学大学院農学研究科を卒業後、新卒で総合商社伊藤忠商事へ入社。20代、30代は伊藤忠でサラリーマンとしてキャリアを積み上げている。

伊藤忠時代に、部長は本部長に頭を下げ、本部長は常務に頭を下げ、常務は社長に頭を下げ、、、と組織の構造から企業トップにならないと意思決定できず、面白くないと考えた。

一方で、そのまま残って伊藤忠の社長になるのは可能性が低いだろうと考え、社長になるという目標を持って、ジョンソンエンドジョンソンに転職、その後同社社長に就任している。

伊藤忠時代に子会社出向でマネジメントを経験しているものの、社長になるという目標を実現しているのは並外れた実行力があったのだろう。

その後、ジョンソンエンドジョンソンでの経営手腕をカルビー創業家松尾氏に買われて、カルビーの会長兼CEOに就任。毎年業績を回復させ、カルビーを上場させるなどの功績を残した。

松本氏は徹底的に現場の声を重視する経営者であり、カルビー時代は毎週末コンビニやスーパーに通い、現場の声や顧客の声を吸い上げ、経営に活かしていた。

元商社マンらしく「答えは現場にある」という信念のもと、顧客が何に困っており、何を求めているのか、現場のリアルな情報を経営に取り入れ、すぐに実行に移すことで業績を改善させてきた。

原田泳幸:Mac⇒マックの経営者に

原田泳幸はアップルジャパン、日本マクドナルド、ベネッセと20年間に渡り社長・会長を歴任。現在はタピオカドリンクで有名なゴンチャジャパンのCEOを務める。

グローバル企業のキャリアが長く、業界で考えると、IT業界、外食産業、教育・介護事業と幅広い業界領域の経験がある。

東海大学工学部を卒業後、当時の日本ナショナル金銭登録機にエンジニアとして入社。その後、ヒューレットパッカード、アップルジャパンに転職とIT業界でのキャリアを積み上げている。

原田氏はアップルジャパンには経営者としてではなく、マーケティング部長として入社している。順調に昇進していき、 米国本国勤務も経験している。

その後、1997年にアップルジャパンの社長に就任したが、当時のアップルは競合となるWindowsの勢いにやられており、業績は非常に悪く、経営不振に陥っていた。

原田氏はこの業績不振を見事V字回復させた。iMacの販売と合わせて抜本的なチャネル改革で直販化の推進を行い、3000店程あった販売店を100店に絞った。

この実績を評価され、プロ経営者としてのキャリアを積み上げていくことになる。アメリカマクドナルド本社からヘッドハンティングされる形で日本マクドナルドの社長に就任する。

各メディアは「Macからマックへの華麗な転身」とキャッチ―に報道した。これまでIT業界でのキャリアを積み上げてきたため、業界としては外食産業となるため他業界への挑戦だ。

マクドナルドでの成果は賛否両論あるが、直営店メインの経営方針から一気にフランチャイズ化を推進し、本社利益構造を抜本的に改革していく戦略を取り、9期連続でプラスにV字回復させる結果となった。

その後、また異業界のベネッセの社長に就任し、タイミングが悪かったとも言えるが、有名なベネッセ個人情報漏洩事件の対応に尽力し、約2年で退任している。

社長として就任した会社の業績を必ず回復させており、その裏側では抜本的な改革を推進している。また、マクドナルドの賞味期限切れ事件やベネッセの個人情報漏洩事件などでは、企業トップとしての危機対応の手腕を評価されている。

玉塚元一:ファーストリテイリングへの挑戦

玉塚元一は旭硝子、日本IBM、ファーストリテイリング、リヴァンプ、ローソンの会社を渡り歩き、ファーストリテイリングとローソンでは社長を務めている。リヴァンプは自身で創業している。

現在は合併し、みずほ証券となっているが、旧:玉塚証券の創業者を曾祖父に持ち、経済界に影響力のある家庭で育った。

慶応義塾大学を卒業後、旭硝子に入社し、工場勤務・海外勤務を経た後、MBAを取得。その後、旭硝子を退職して日本IBMにコンサルタントとして入社している。

ところが、玉塚氏は日本IBMを4か月で退社し、ファーストリテイリングに入社しているが、ここが彼のターニングポイントと言えるだろう。

日本IBMの営業の中でファーストリテイリングの柳井氏と会い、旭硝子を退社する理由でもあるが、「自分で商売をやってみたい」という想いから柳井氏のもとで修業することが自分に血肉になると考え、ファーストリテイリングに転職をする。

その後、急成長するファーストリテイリングの現場でオペレーションを回すことに奔走。店舗の人材が常に不足しているため、玉塚氏がホテルのフロアを貸し切って1日中面接していたという話もある。

その後、柳井氏が会長になり、玉塚氏が社長に就任し、3年間社長として尽力する。最終的には、柳井氏が再度社長に戻ることになる。

玉塚氏は、やることはやり切ったが、ファーストリテイリングをグローバルに展開するような大きなビジョンを描いて欲しいという柳井氏の期待に応えられなかったと、インタビューに答えている。

その後、リヴァンプを自身で創業し、当時のローソン社長新浪氏から声をかけられたことでローソン社長に就任することになる。

ローソンの任期中にファーストリテイリングの柳井氏がローソンの加盟店向けに講演をしたことがある。柳井氏は講演をしない主義だが、玉塚氏の頼みであれば、と快諾し、その講演を聞いて感謝の気持ちから玉塚氏が涙を流したというエピソードがある。

そのくらい玉塚氏からみると柳井氏は思い入れ深い師匠であり、プロ経営者といえど、最初からなんでもできたわけではないことがよくわかる。

今回、3名のプロ経営者の経歴について簡単にご紹介した。このような偉大な経営者たちにも下積み時代を経て今があることを感じてもらえれば幸いだ。